小学生の時の夏休みの宿題で、最も時間がかかって大変だったものは「自由研究」でしたよね。
今回は、私が小学生の時に作った万華鏡について書きます。『初心忘るべからず』という教えを念頭に、なぜ私は理科教員になったのかを改めて考えます。
目次
理科的な記憶で最も古いもの
まず、理科的なことで自分の最も古い記憶を辿ることにします。
- 「学研の科学」の方が「学研の学習」よりも好きで、なんといっても付録が楽しみだった。
- 小学1年生の夏休みの自由工作で作った万華鏡
- 家の窓から砕いたせんべいを投げたらハト群がってきた
- 友達の夏休みの自由研究「タマネギを刻むときに涙が出る理由を探る」
- 夏休みの自由研究「外気温の推移の記録」
- 近所のお姉さんの研究発表“海の満ち引きと、月との関係”
- 5年生の時のメダカの孵化直前の観察
ざっとこれくらいのことが蘇ってきました。
これを時系列に並べてみると、私の中で最も古い理科的な記憶は「小学1年生の夏休みに作成した万華鏡」です。
その時の記憶をさらに深掘りすることにします。
材料は、
- ガラス製の板(縦20センチ、横10センチ)3枚
- ガラスの板に貼る黒い紙
- きれいな千代紙
- 万華鏡の中に入れるきれいな紙や透明セロハン
- 接着剤
- ハサミ
こんなもんだったかな。
万華鏡の作成手順を思い出す
ガラスのカット
小学1年生の時だったので、はっきり言ってほとんど記憶がありません。組み立て作業もまったく覚えていません。くっきりとした状況として映像で脳内に残っているのは、母親と一緒にガラス工場に行ったことです。母親が運転する自転車の後ろに乗っけられて、暑い中工場まで行きました。母親が工場のおじさんに、欲しいサイズを告げて、ガラスの板を切ってもらいました。今から考えると、まったくの儲けにならない仕事なのに、よく工場のおじさんは請け負ってくれたなー、と思います。カッターか何かで、綺麗なガラス板にスーッと筋を入れて、柔らかそうなハンマーでパキッとカットしてくれました。確か、1枚目は失敗して粉々に割れたような気がします。

ガラスに黒い紙を貼る
カットしてもらったガラス板が割れないように、布で何重にも包んで自転車の後ろに乗っけてもらい家に戻りました。戻ってから、3枚のガラス板を接着剤でくっつけて三角柱を作ったはずです。でもその記憶は残っていません。母親が作ってくれたはずです。
私がやった作業は、ガラス板のサイズに切り取ってもらった黒い紙を、三角柱に巻き付け接着剤で貼り付けたこと、だと思います。これもあまり覚えていませんが。何のために黒い紙を貼るのか、それすらも分からないままただの作業をこなしていたはずです。黒い紙で三角柱の上下の蓋も作りました。光が入らないようになった三角柱の塊に、覗き穴を開けてもらいました。そこから中を覗くと、3枚の鏡で囲まれた世界が見えました。その時に、黒い紙を巻いた意味が分かりました。

飾りの紙を小さく切り刻む
次に私がやった(はずの)作業は、三角柱の中に入れるための、小さい色紙や色付きセロハン作りです。母親か私のどちらがこの作業をやったのかな〜。母親がやってくれたのだろうか。自分でやったのだろうか。思い出せない・・・。

三角柱に飾りの紙などを入れる
三角柱の蓋を外して、作成した飾りの小さい紙やセロハンを中に入れました。そして蓋をして、覗き穴から中を覗くと・・・、初めて見るキラキラとした世界が視界に広がっていました。三角柱をクルクル回しながら覗くと、キラキラした世界を彩る模様がどんどん形を変えていきます。しばらくそのきれいな世界に浸っていたはずです。何度も何度も、時間をおきながら繰り返し覗いていた記憶があります。後年、ヨーロッパ旅行で訪れた教会のステンドグラスに圧倒された時も同じような気持ちになりました。

三角柱に千代紙を貼る
母親に言われて、千代紙を三角柱に貼り付けました。これで万華鏡の完成です。しかし、私としては黒いままの三角柱がかっこよくて気に入っていたのですが、言われるがままの作業をこなしました。まあ、小学1年生だったからしょうがないかな。今なら当然、自分のやりたいようにやります。今から振り返ると、この作業の瞬間に母親が作品に自己主張を入れ込んできた、とそう思います。千代紙は赤やらピンクなどの、雛人形を連想させるような色彩のものでしたから・・・。
まあね、ほとんどの作業は母親がやったのだからそうなるのも当然と言えば当然です。小学1年生の夏休みの自由工作なんか、そんなもんですよね。

現在(2021年)
私の息子は現在小学1年生です。これから夏休みに入ります。おそらく夏休みの宿題で自由研究や自由工作というものがあると思います。まだまだ小さい子どもだから、と思っていましたが、私自身の小学1年時の記憶が結構残っていることが分かったので、夏休みに一緒に万華鏡を作ってみようかな、という気になっています。
理科教員になったことを振り返るはずだったが
今回、なぜ理科教員になったのだろうか、をきっかけに自分自身を深掘りするために文章を書き始めましたが、ほとんど万華鏡作りの思い出話になってしまいました。ここらで文章を締めますが、いくつか思い出した理科的な古い記憶についても、機会があればさらに深掘りしていきたいと思います。